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わたしの介護

ひとつの介護を終えて vol.3
その後、眠っているとき以外、常に介護者の手を借りなければ日常が送れないようになってくると…
2009.5.1
ひとつの介護を終えて vol.2
近所のケア施設(通所施設)の話を、知り合いから聞いた。思い切って電話をしてみると…
2008.10. 5
ひとつの介護を終えて vol.1
一緒に暮らして20数年の義母を送って、まもなく1年になろうとしている。
2008. 4. 1
ケアプラン例 要介護1 vol.1
16580単位/月 本人の意思を尊重しつつ、在宅で自立した生活が出来るように支援する。
2008. 8. 3
ケアプラン例 要介護1 vol.2
16580単位/月 本人の意思を尊重しつつ、在宅で自立した生活が出来るように支援する。
2008.10. 5
ケアプラン例 要介護2
要介護2 起居動作に危険はあるが、出来るだけ歩行訓練などで動かすように心がける。
2009.5.6
ケアプラン例 要介護3
要介護3 訪問介護を利用して、できるだけ自立した生活が出来るように支援していく。
2009.5.6




ひとつの介護を終えて vol.3 

 その後、眠っているとき以外、常に介護者の手を借りなければ日常が送れないようになってくると、在宅介護での限界を感じる時である。昼夜逆転してしまい、夜トイレに起きるだけでなく訳もなく起きていることも多くなる。そのため、ひとりで起き出して転倒するかも知れないと物音に敏感になり、夜も落ち着いて眠れない日が増える。起きている時手が掛かるのは当たり前で、四六時中気の休まるときが無くなるのである。
 それと同時に、キーパーソンである私が通院を必要とするような事態になり、思うように時間が作れなくなったことで在宅介護以外を考えるようになった。できれば最期まで在宅介護をと考えていたものの、方向転換をしなければならなくなったもうひとつの理由でもある。第3段階である。義母が要介護4になったのは、実際には介護ホームに90歳で入所してからだった。
 
 介護ホームを決めるまでに10数箇所近くを見て回った。少しでも、義母に合ったホームがあればと、ケア・マネージャーはじめいろいろな方から情報をもらっては、見て歩いた。最終的な決定の基準は、スタッフの方の対応の良さだった。契約したケア付き有料老人ホームへの入所後、通院の合間に見舞うたび、落ち着いた様子で穏やかに過ごしている義母を見るにつけ、どんなにか、こちらの気持ちも救われたことか。
 
 それから、数ヶ月で義母は亡くなった。今でも、これでよかったかと思うことが    ある。・・・・・が、試行錯誤でそのとき出来ることをやるのが精一杯だった。介護終盤の2年ほどは、支えがないと立てなくなった義母を、夫がベッドから車椅子へ抱きかかえて 移動することも頻繁になった。その時期のことを、夫は「母親の世話が出来てよかったよ」としみじみ言ったことがある。「君が一人で背負わなかったからこその結果だ」とも。本当のところ背負わなかったのではなく、背負えなかったのだけれども・・・・・。

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